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東京ヤクルトスワローズの2020年の監督やコーチ陣の経歴や実績まとめ!

スワローズ

東京ヤクルトスワローズの2020年の首脳陣(監督・コーチ)の現役時代の経歴や実績をまとめました!

※コーチ陣については発表があり次第追記していきます。

高津臣吾監督の経歴や実績(背番号80)

  • 名前:高津 臣吾 (たかつ しんご)
  • 生年月日:1968年11月25日 年齢50歳(※2019年10月時点)
  • 出身:広島県広島市南区
  • 身長・体重: 180cm・75kg
  • 出身校:広島県立広島工業高等学校-亜細亜大学
  • 選手時代の所属チーム:ヤクルトスワローズ (1991 – 2003),シカゴ・ホワイトソックス (2004 – 2005),ニューヨーク・メッツ (2005),東京ヤクルトスワローズ (2006 – 2007),ウリ・ヒーローズ (2008),興農ブルズ (2010),新潟アルビレックスBC (2011 – 2012)

通算成績(プロ野球1軍)

  • ポジション:投手
  • 活動:15年(598試合登板)
  • 防御率:3.20
  • 勝敗:36勝46敗
  • セーブ数:286

タイトル・記録

  • 最優秀救援投手:4回 (1994年、1999年、2001年、2003年)
  • 月間MVP:2回 (投手部門:2000年5月、2001年8月)
  • ファイアマン賞:3回 (1994年、1999年、2001年)
  • JA全農Go・Go賞:1回 (救援賞:1995年7月)
  • 日本シリーズ優秀選手賞:2回 (1993年、1995年)
  • セ・リーグ連盟特別表彰:1回 (会長特別賞:2003年) ※通算セーブ(セーブポイント)NPB新記録達成を称えて
  • オールスターゲーム出場:6回 (1994年、1996年、1999年、2000年、2003年、2007年)

通算成績(MLB)

  • ポジション:投手
  • 活動:2年(99試合登板)
  • 防御率:3.38
  • 勝敗:8勝6敗
  • セーブ数:27

タイトル・記録

  • Baseball Digest ルーキーオールスターチーム(英語版) (クローザー部門:2004年

高津臣吾新監督は、現役時代、ヤクルトの守護神として大活躍。

日本シリーズでは四度も日本一の胴上げ投手になるなど、強かったヤクルトを支えました。

その後は、MLBにも挑戦。年俸が安かったことから、最もお買いだったFAベスト選手に選ばれるなど活躍しました。

しかし、2年目は開幕から不調で、シーズン途中で解雇。日本に帰国することになりました。

その後は、アジアの球団でも活躍し、メジャーリーグベースボール・日本プロ野球・韓国プロ野球・台湾プロ野球の4つのプロ野球でプレーした初めての選手となりました。

幅広い経験を持つ、高津臣吾新監督がチームをどう立て直すか注目です!

宮本慎也ヘッドコーチの経歴や実績(背番号86)

※2019年の情報になります。2020年のコーチは決まり次第追記します。

  • 名前:宮本 慎也(みやもと しんや)
  • 生年月日:1970年11月5日 年齢48歳(※2019年8月時点)
  • 出身:大阪府吹田市
  • 身長・体重:176cm・82kg
  • 出身高校-大学-社会人:PL学園高等学校-同志社大学-プリンスホテル
  • 選手時代の所属チーム:東京ヤクルトスワローズ (1995 – 2013)
  • プロ野球通算成績
  • ポジション:遊撃手、三塁手、二塁手
  • 活動:19年(2162試合出場)
  • 打率:.282
  • 本塁打数:62本
  • 打点:578
  • 盗塁:111

タイトル・記録

  • ベストナイン:1回 (2011年(三塁手部門))
  • ゴールデングラブ賞:10回 (1997年、 1999年 – 2003年(遊撃手部門)、2009年 – 2012年(三塁手部門))
  • アテネオリンピック予選アジア選手権MVP(2003年)
  • 月間MVP:1回 (2011年4月)
  • ゴールデンスピリット賞(2013年)
  • セントラル・リーグ特別功労賞(2013年)
  • ベスト・ファーザー イエローリボン賞 in 「プロ野球部門」 (2008年)
  • 2006年春 紫綬褒章(WBC日本代表メンバーとして)
  • 連続遊撃手守備機会無失策:463 ※2005年時の日本記録
  • 連続三塁手守備機会無失策:257 ※日本記録
  • シーズン67犠打(2001年) ※世界タイ記録
  • 三塁手最高守備率.997(2011年)
  • オールスターゲーム出場:8回 (2002年、2003年、2007年 – 2009年、2011年 – 2013年)

宮本慎也コーチは、19年間ヤクルト一筋で活躍した上、第一回WBC優勝メンバー2008年北京オリンピック野球日本代表にキャプテンとして出場日本プロ野球選手会会長を3年間勤め上げるなど、ヤクルトスワローズファンだけでなく、多くの野球ファンから愛された選手でした。

選手としては、ホームランを量産するなどの派手な活躍はありませんが、通算2000本安打・400犠打を記録している唯一のプロ野球選手になります。

また、ゴールデングラブ賞を10回獲得するなど守備の上手さも目立ち、玄人好みする選手と言えるでしょう!

更に2009-2013年シーズンは、選手として活躍しながらヤクルトスワローズのコーチも務めました!(2013年の選手引退時にコーチも引退)

2018年に、ヤクルトスワローズの一軍ヘッドコーチとして戻ってきましたが、就任1年目にチームは翌年の最下位から、CS進出の2位へと大躍進。

ヘッドコーチとしてチームの飛躍に大きく貢献しました。

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田畑一也投手コーチの経歴や実績(背番号89)

※2019年の情報になります。2020年のコーチは決まり次第追記します。

  • 名前:田畑 一也 (たばた かずや)
  • 生年月日:1969年2月27日 年齢50歳(※2019年8月時点)
  • 出身:富山県高岡市
  • 身長・体重: 178cm・80kg
  • 出身高校-社会人:高岡第一高等学校-北陸銀行-田畑建工
  • 選手時代の所属チーム:福岡ダイエーホークス (1992 – 1995),ヤクルトスワローズ (1996 – 1999),大阪近鉄バファローズ (2000),読売ジャイアンツ (2001 – 2002)

通算成績(プロ野球1軍)

  • ポジション:投手
  • 活動:9年(166試合登板)
  • 防御率:4.14
  • 勝利数・敗戦数:37勝・36敗
  • 完投・完封:11完投・6完封

タイトル・記録

  • 月間MVP:1回(1997年6月)
  • 最優秀バッテリー賞:1回 (1997年、捕手:古田敦也)
  • オールスターゲーム出場:2回 (1996年、1997年)

田畑一也コーチは高校卒業後、地元の富山県の社会人野球チーム・北陸銀行に入団したのですが、右ひじを痛めてしまい退団と共に引退しました。

田畑一也コーチの経歴でユニークなところは、その後実家で大工をしていたことです。

そんな中、遊びで福岡ダイエーホークスの入団テストを受けたところ、「球速はないが、キレはある」という評価で、約200名の受験者の中で唯一合格し、その後ドラフト指名を経て、ダイエーホークスに入団することになりました!

プロ入り後は、ダイエー(現ソフトバンク)、ヤクルト、近鉄(現オリックスと統合)、巨人と渡り歩きましたが、キャリアハイはヤクルト時代の1997年で15勝5敗、そしてリーグ最多となる3完封を挙げました。

順調な活躍を見せましたが、巨人移籍後の2001年から右肩の痛みに悩まされるようになり、2002年に痛みが限界に達し、引退となりました。

石井弘寿投手コーチの経歴や実績(背番号98)

※2019年の情報になります。2020年のコーチは決まり次第追記します。

  • 名前:石井 弘寿 (いしい ひろとし)
  • 生年月日:1977年9月14日 年齢41歳(※2019年8月時点)
  • 出身:千葉県市原市
  • 身長・体重: 180cm・100kg
  • 出身高校:東京学館高等学校
  • 選手時代の所属チーム:東京ヤクルトスワローズ (1996 – 2011)

通算成績(プロ野球1軍)

  • ポジション:投手
  • 活動:11年(339試合登板)
  • 防御率:2.66
  • 勝利数・敗戦数:27勝・15敗
  • 完投・完封:0完投・0完封
  • セーブ・ホールド:55セーブ・11ホールド

タイトル・記録

  • 最優秀中継ぎ投手:1回(2002年)
  • オールスターゲーム出場:2回 (2002年、2005年)

石井弘寿コーチは1995年のドラフト会議でヤクルトから4位指名を受け入団したのですが、当時の担当スカウトは小川淳司監督という、少し面白い縁があります。

スカウトと高校生という関係が、1軍監督とコーチという関係になるとは、入団当時は想像もできなかったでしょう。

石井弘寿コーチは選手時代、100kgの巨漢に、厳つい顔立ちからゴリのニックネームでファンに愛されました

11シーズンで339試合に登板、通算防御率2.66は大変優秀な成績で、2002年には最優秀中継ぎ投手にも選ばれています

また、石井弘寿コーチは選手時代MLB行きを熱望しており、何度かポスティングによる移籍を志願するものの拒否されていました。

2004年オフ、球団側は条件を満たした上での移籍を容認したが、翌2005年オフ、古田敦也新監督の就任により事情が変わったとして認めない方針に転じました。

2006年1月、球団が約束反故について謝罪し、同年オフの移籍を容認したことでヤクルト残留を決めたのですが、しかし同年に肩の状態の悪化したことを理由にMLB移籍を断念しました。

ポスティングによるメジャー挑戦と、球団の反対による履行できないという、球団フロントと揉めながらも、コーチとして現場復帰した石井弘寿コーチはフロント人からの信頼が相当厚いと思われます。

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石井琢朗打撃コーチの経歴や実績(背番号81)

※2019年の情報になります。2020年のコーチは決まり次第追記します。

  • 名前:石井琢朗 (いしい たくろう)※本名ならびに投手時代の登録名は石井 忠徳(いしい ただのり)
  • 生年月日:1970年8月25日 年齢48歳(※2019年7月時点)
  • 出身:栃木県佐野市
  • 身長・体重: 174cm・78kg
  • 出身高校:栃木県立足利工業高等学校
  • 選手時代の所属チーム:横浜ベイスターズ (1989 – 2008),広島東洋カープ (2009 – 2012)

通算成績(プロ野球1軍)

  • ポジション:遊撃手、三塁手、二塁手、外野手、投手
  • 活動:24年(2413試合出場)※投手としては3年、28試合に登板
  • 打率:.282
  • 本塁打:102本
  • 打点:620打点
  • 盗塁:358

タイトル・記録

  • 盗塁王:4回(1993年、1998年、1999年、2000年)
  • 最多安打:2回(1998年、 2001年)
  • ベストナイン:5回(遊撃手部門 = 1997年 – 2001年)
  • ゴールデングラブ賞:4回(三塁手部門 = 1993年 – 1995年、遊撃手部門 = 1998年)
  • JA全農Go・Go賞:1回(好走塁賞 = 1996年4月)
  • 日本シリーズ優秀選手賞:1回 (1998年)
  • 出身地別東西対抗戦最優秀選手:1回 (2002年)
  • セントラル・リーグ特別功労賞(2012年)
  • 栃木県民栄誉賞 (2006年)
  • 佐野市民栄誉賞 (2006年) ※受賞者第1号
  • 足利市スポーツ特別賞 (2006年)
  • ベスト・ファーザー イエローリボン賞 in 「プロ野球部門」 (2008年)
  • 全球団から本塁打:通算100本塁打の項目を参照 ※史上17人目
  • オールスターゲーム出場:6回 (1995年、1997年 – 2001年)

石井琢朗コーチは選手として、盗塁王4回、最多安打2回、ベストナイン5回、ゴールデングラブ賞4回と、走攻守に秀でた選手でした。

横浜時代の1998年には、マシンガン打線の1番打者としてチーム38年ぶりのリーグ優勝、日本一に貢献。当時は選手会長でもありました。

東京ヤクルトスワローズのコーチには2018年から就任しており、選手時代に所属していない球団にも関わらず、チームの最下位からの2位躍進に貢献しております。

宮出隆自打撃コーチの経歴や実績(背番号76)

※2019年の情報になります。2020年のコーチは決まり次第追記します。

  • 名前:宮出 隆自 みやで りゅうじ)
  • 生年月日:1977年8月18日 年齢41歳(※2019年7月時点)
  • 出身:愛媛県宇和島市
  • 身長・体重: 192cm・90kg
  • 出身高校:愛媛県立宇和島東高等学校
  • 選手時代の所属チーム:東京ヤクルトスワローズ (1996 – 2009),東北楽天ゴールデンイーグルス (2009 – 2010),東京ヤクルトスワローズ (2011 – 2012)

通算成績(プロ野球1軍)

  • ポジション:外野手、一塁手、三塁手、投手
  • 活動:14年(701試合出場)※最初の4年は投手として49試合に登板
  • 打率:.277
  • 本塁打:39本
  • 打点:216打点
  • 盗塁:15
  • ※投手として、通算防御率4.73。6勝5敗。

タイトル・記録

  • 特になし

宮出隆自コーチは192cm・90kgと恵まれた体格から繰り出されるパワフルな打撃から、一時はロベルト・ペタジーニに引っ掛けて「ミヤジーニ」のニックネームで和製大砲として期待されました。

また、入団当初は投手として活動していましたが、4年間で通算防御率4.73とパッとせず、その間の打率が4割(15打数4安打)と好調だったことからその後、打者として活躍していくことになりました!

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土橋勝征内野守備走塁コーチの経歴や実績(背番号95)

※2019年の情報になります。2020年のコーチは決まり次第追記します。

  • 名前:土橋 勝征(どばし かつゆき )
  • 生年月日:1968年12月5日 年齢49歳(※2019年8月時点)
  • 出身:千葉県船橋市
  • 身長・体重: 179cm・83kg
  • 出身高校:千葉県立印旛高等学校
  • 選手時代の所属チーム:東京ヤクルトスワローズ (1987 – 2006)

通算成績(プロ野球1軍)

  • ポジション:外野手
  • 活動:19年(1464試合出場)
  • 打率:.266
  • 本塁打:79本
  • 打点:427打点
  • 盗塁:35

タイトル・記録

  • JA全農Go・Go賞 (最多二・三塁打賞:2003年8月)
  • オールスターゲーム出場:1回(1995年)

土橋勝征コーチは、ヤクルトスワローズ一筋、19年の長きに渡って活躍した選手です!

入団した当初は守備固めでの出場が多く、打撃は伸び悩んでおりました。

しかし背番号を5に変更した8年目の1995年は、シーズン途中から3番に座り、129試合に出場して日本一に貢献しました。

この年は打率2割8分ながら、数字以上の貢献が光り、MVP投票でも3位票を多く集めました。

具体的には、打撃面で追い込まれたカウントでもファウルで懸命に粘ったり、難しいボールを巧みに右打ちするなど、玄人好みの打撃が光り、良い意味でいやらしい選手との評価が高かったです。(当時監督だった野村克也さんによると、ボールがバットに当たる寸前でも打球方向を変える事ができたそうです。)

当時、巨人のエースだった上原浩治選手や中日ドラゴンズの山本昌選手が、苦手な打者といて土橋勝征コーチの名を上げる程でした。

その後も、二塁手以外にも内外野のポジションをこなせるユーティリティプレーヤーとして活躍。

チーム状況によって様々なポジションに就き、試合途中での守備位置変更も頻繁にされていました。

河田雄祐外野守備走塁コーチの経歴や実績(背番号71)

※2019年の情報になります。2020年のコーチは決まり次第追記します。

  • 名前:河田 雄祐(かわだ ゆうすけ )
  • 生年月日:1967年12月22日 年齢51歳(※2019年8月時点)
  • 出身:帝京高等学校
  • 身長・体重: 175cm・75kg
  • 出身高校:千葉県立印旛高等学校
  • 選手時代の所属チーム:広島東洋カープ (1986 – 1995),西武ライオンズ (1996 – 2002)

通算成績(プロ野球1軍)

  • ポジション:外野手
  • 活動:13年(574試合出場)
  • 打率:.226
  • 本塁打:6本
  • 打点:50打点
  • 盗塁:53

タイトル・記録

  • 特になし

河田雄祐コーチは、土橋勝征コーチと反対に現役時代にヤクルトスワローズに所属していません。

最初に入団した広島東洋カープでは、俊足強肩の外野手として主に代打や守備要員として出場。

プロ入り5年目の1990年に一軍初出場を果たし、お立ち台に初めて立ったのはプロ入り9年目の1994年と活躍まで時間がかかりました。

1995年シーズン終了後には、野々垣武志選手との交換トレードで西武ライオンズへ移籍しました。

東尾修監督時の1997年と1998年のリーグ連覇では堅実なプレーで「スーパーサブ」と呼ばれ、一軍定着し優勝に貢献し、1997年の日本シリーズ第2戦ではシリーズを通してチーム唯一となるホームランを放つなど活躍しました。

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衣川篤史バッテリーコーチの経歴や実績(背番号83)

※2019年の情報になります。2020年のコーチは決まり次第追記します。

  • 名前:衣川 篤史(きぬがわ あつし )
  • 生年月日:1981年3月20日 年齢38歳(※2019年8月時点)
  • 出身:兵庫県宝塚市
  • 身長・体重: 179cm・93kg
  • 出身高校-大学-社会人:大商学園高等学校-岐阜聖徳学園大学-昭和コンクリート-住友金属鹿島
  • 選手時代の所属チーム:東京ヤクルトスワローズ (2007 – 2011)

通算成績(プロ野球1軍)

  • ポジション:捕手
  • 活動:3年(35試合出場)
  • 打率:.250
  • 本塁打:2本
  • 打点:14打点
  • 盗塁:0

タイトル・記録

  • 特になし

衣川篤史コーチは、社会人を経てヤクルトスワローズに入団。

1年目と2年目のキャンプまでは二軍でしたが、川本良平選手の故障に伴って一軍キャンプに合流しました。

開幕は再び二軍で迎えたものの、イースタン・リーグでは開幕から正捕手を務め、打撃不振の選手が多い中で、二軍とはいえ3割台をキープしました。

そのことと福川将和選手の骨折の疑いもあり、5月13日に一軍初昇格。同日の対中日戦で初出場、初先発を果たしました

翌5月14日対中日戦5回裏2アウト無走者の場面で、山本昌縁府からプロ入り初安打を放つも、右肘の故障によって一軍に定着することはできず、5月29日に登録を抹消されると、以降は二軍で過ごすことになりました。

3年目の2009年もシーズンの大半を二軍ですごし、ファーストやサードなども経験します。

その後も1軍に登録されることもありますが、シーズンの多くを二軍で過ごし、5年目の2011年10月9日に戦力外通告を受け、自由契約となりました。

その後、現役を引退し、ヤクルトのスコアラーに就任、2019年より東京ヤクルトスワローズ一軍バッテリーコーチに就任することが決まりました。

杉村繁巡回コーチの経歴や実績(背番号74)

※2019年の情報になります。2020年のコーチは決まり次第追記します。

  • 名前:杉村 繁(すぎむら しげる)
  • 生年月日:1957年7月31日 年齢62歳(※2019年8月時点)
  • 出身:高知県高知市
  • 身長・体重: 171cm・75kg
  • 出身高校:高知高等学校
  • 選手時代の所属チーム:ヤクルトスワローズ (1976 – 1987)

通算成績(プロ野球1軍)

  • ポジション:内野手
  • 活動:11年(449試合出場)
  • 打率:.228
  • 本塁打:4本
  • 打点:46打点
  • 盗塁:1

タイトル・記録

  • 特になし

杉村繁巡回コーチについて、ですがまず巡回コーチとはなんなのでしょうか?

簡単に説明売ると、1軍と2軍を行き来し、選手情報を伝え、1軍、2軍間を円滑にすることを目的とするコーチのことです。

杉村繁コーチは甲子園で活躍し、その後を期待されますが、プロでは伸び悩み、1年目は二軍暮らしとなります。

2年目の1977年、監督の広岡達朗の指令でコンパクトな打撃に改造、更に守備を鍛えられ、その甲斐もあって主に遊撃手として32試合に出場します。

4年目の1979年には、5月から遊撃手として水谷新太郎と併用され51試合に先発出場、自己最高の185打数45安打を記録しました。

その後も内野のユーティリティプレイヤーとして活躍、1982年には主に二塁手として26試合に先発するが、怪我もあって1987年に引退しまいました。

高校時代の杉村を間近で見た審判に「杉村はどれ程の(凄い)選手になるのか」と言わしめる程だったが、プロ12年間でわずか4本塁打に終わりまし。

東京ヤクルトスワローズの2019年の首脳陣の現役時代の実績をまとめました!

WBC優勝メンバーから、1軍生活がわずかしかない方まで様々ですね!

2017年の最下位から2018年に2位まで躍進した首脳陣。

ベースは2018年のままで、一部の方が交代となっておりますので、2019年シーズンの更なる飛躍が楽しみです!

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最後までお読みいただきありがとうございました!