「道義的責任を取って謝罪を…」
先日観ていたテレビから聞こえてきたこの言葉、「悪いと思っているので、その責任を取って…」という意味なんだろうとなんとなく思うのですが、正確には何の責任を取るんでしょう?何に悪いと思っているの?道義ってなに?
と、たくさん疑問が浮かんできたので、ちょっと“道義”の意味を調べてみました。
道義の意味は?
まず辞書によると、“道義”の意味は
人としてふみ行うべき道。道徳。道理。(大辞林 第三版)
だそうです。ちなみに読み方は「ドウギ」。
使われている漢字の意味もそれぞれ見てみましょう。
道…目指すべき最も高度な状態や根本法則のこと。また、それを目指している過程そのもの義…人として「こうあるべき」という原則。本能的な戒め。
つまり、人として正しい行いをするよう、常々心がけること、またはそうであろうとする姿勢のことを“道義”と言うのですね。
道義の使い方や例文は?
道義の例文を調べました。
- 「道義に反する」
- 「道義的責任を取って」
- 「道義的判断により」
「人としてあるべき行いに則って」または「人としてあるべき行いに反しているので」という意味を表現したい時に“道義”という言葉が使われます。
また、“道義”という言葉が出てきたときには、“モラル”に置き換えて考えてみるとその意味が分かりやすいかもしれませんね。(英語表記のモラルについては後ほど詳しく説明してます)
でも自分が文章を書く、または話す時にはモラルへの変換は注意しましょう!
「モラル的責任を取って」という日本語は存在しません。意味としては通用するかも知れませんが、日本語としては正しくないので、そういう時は「道義的責任を取って」と、ちゃんとした日本語を使うようにしましょう。
道義の類語は?
もう少し具体的な意味をイメージしやすいように、似た意味を持つ言葉を辞書で探してみるとこの3つが出てきました。
- 道理
- 道徳
- 倫理
どれも人としての行いや、良心について語るときによく使われる言葉ですね。
それぞれの意味は広辞苑によると、
…なんだか余計にややこしくなった気もしますが、どれも守るべきこと(みち、ことわり)のことを示しています。
道義の英語表記は?
“道義”という日本語はあまり聞きなれないので、英語では何というのか調べてみました。
- Morale(モラル)
- Morality(モラリティ)
こちらの方が聞きなじみがありますね。
「道義に反する」と言うよりも、「モラルに反する」と言う方が理解しやすいかもしれません。
法律やルールなどの決まり事ではなく、心(の声に?)に反することを「モラルに反する」と言います。つまり心や精神的に良しとすることを“道義”と呼ぶのですね。
例えばこれは私がフランスで実際に体験したことなのですが、フランスでは少量の飲酒であればその後の運転も合法とされています(血液中のアルコール濃度が0.4g以下は合法)。
とは言え、飲酒運転は絶対にダメ!と言われて育った日本人の私には、どうもそれをやる気にはなれません。法律では許されているけど、私の道義(モラル)上、許せなかったことの一つです。
道義・道理・道徳の違いは?
ちなみに、守るべきことをみちやことわりを指す “道義”、“道理”、“道徳”ですが、それぞれが何を指すのか?その違いはなんなのか?を考えてみました。
まず、“道義”についてですが、これは先にも説明した通り、人として守るべきこと、人の行う正しい道のことを指します。
次に“道理”ですが、これは“道義”と漢字が一文字違うだけで意味もほとんど同じです。
でも、人に限定されず、物事すべてにおいて(森羅万象において)そうあるべき、という概念を指すようです。
そして“道徳”についてですが、先ほどの辞書にも書かれているように、“ある社会”における善悪の判断が存在することによって、道徳という概念も存在するように、つまり、「人として行う正しい道(義)」に、「社会における規範」を加味したものを、“道徳”と呼ぶようですね。
またこれは余談ですが、儒教の世界においては、「徳」の中に「義」が含まれるそうです。つまり、“道義”は“道徳”の中の要素の一つ、ということ、“道義”の意味である「道徳のすじみち」というのもこれで納得できますね。
ここで一つ例え話です。
私たち人間が幼い子どもや赤ん坊を守ろうとすることは、自然と発生してくる感情であり“道義”であると言えます。
また、動物の世界を見ても同じなのでそれは“道理”ともいえます。
でも私たち人間が、お年寄りや体の弱い人を守ることはどうでしょう?
これは“道徳”であると言えます。
なぜなら、動物の世界を見てみると、年老いた個体や、体に問題のある個体は弱肉強食の世界では、自然と淘汰されていきます。
これが“道理”(自然のことわり)です。
でも、人間の世界では目上の人を大事にする、弱いものを守ることが善であるという概念があるため、その“道理”は通用しません。
お年寄りや体の弱い人を守るという行為は、人間(という社会)が作り出した“道徳”なんですね。
まとめ
さて、ここまで調べてみて分かったことをまとめてみます。
“道義”は
- 人の行うべき正しいみち を指す
- 英語でmorale(モラル)に置き換えられる
- ・道理”、“道徳”と似た意味を持つが、対象とするもの、またその成り立ちは異なる
ということのようです。
何が善いことで何が悪いことか考える時、人は「自分の心に問いかける」と言います。
また良心に反することをしてしまった時、人は悪いことをしたなと思います。その行為や感情がまさに“道義”なのかもしれませんね。
最後までお読みいただきありがとうございました!