デザインエンジニアの山中俊治さんが、NHKの番組”SWITCHインタビュー 達人達”に出演します!
山中俊治さんは、東京大学生産技術研究所教授を務め、過去には日産自動車での勤務や、日本グッドデザイン賞を受賞するなど日本デザイン界の第一線で活躍してきた方です!
今回はそんなデザインエンジニアである山中俊治さんについて詳しく調べてみました!
山中俊治(デザインエンジニア)のプロフィールや経歴は?
さいとうさんとデューク東郷との3ショット!
SWITCHインタビュー 達人達「さいとう・たかを×山中俊治」 – NHK 50年以上連載が続く「ゴルゴ13」を世に送り出す劇画家・さいとう・たかを。人とモノを結びつけるデザインエンジニアの山中俊治と、未来のものづくりを語り合った。 https://t.co/qGQs9w5ql3
— 山中俊治 Shunji Yamanaka (@Yam_eye) December 12, 2019
※写真左側が山中俊治さんです。
- 名前:山中 俊治(ヤマナカ シュンジ)
- 年齢:62歳 ※1957年生まれ
- 出身:愛媛県
- 学歴:東京大学工学部卒業
- 経歴
1982年、大学卒業後日産自動車デザインセンター勤務。
1987年よりフリーのデザイナーとして独立し、腕時計から鉄道車両に至る幅広い工業製品をデザインする。
1991年より94年まで東京大学助教授を勤める。1994年にリーディング・エッジ・デザインを設立。デザイナーであると同時に技術者として、ヒューマノイド・ロボットや両手親指キーボードを独自開発。ウィルコムW-SIMコアモジュールやNTTドコモの「おサイフケータイ」などの通信基盤技術の発展にも寄与している。Suica自動改札機の開発では、実験に基づいて認識率を飛躍的に向上させ、実用化のキーパーソンとなった。
2008年より慶應義塾大学教授、2013年より東京大学教授。東京大学生産技術研究所の山中研究室では、アスリートのための美しい義足や、付加製造技術(3Dプリンティング)を使った生き物っぽいロボットなど、人と先端技術の未来を示唆するプロジェクトを推進している。 - 受賞歴など
ニューヨーク近代美術館パーマネントコレクション、Ars Erectronica STARTS、日本グッドデザイン賞(2006年には金賞とエコロジーデザイン賞を同時受賞)、 iF Design Award、毎日デザイン賞、Innovation Design Award (Red Dot)など受賞多数。
山中俊治さんは、大学卒業後に日産自動車で働いていたんですね!
実際に現場で働いた経験のある教授の話は、経験があった頼もしいですね。
山中俊治(デザインエンジニア)の作品は?
山中俊治さんの気になる作品について、調べてみました!
滞在時間、20分。
年パス買ったから良いのです。通う。好きな方の作品を一部、
じっくり見てきました。↓影の付け方、色気がありすぎる。 pic.twitter.com/cOKxKqEsCL
— 稲垣佐苗 (@sanae1226) December 14, 2019
この時計は、”ため息が出るほど美しい時計ですが、デッサンもまた美しすぎて倒れそうです。”とコメントされてました。本当に美しいデザインですね!
毎年、卒業生に絵をプレゼントしています。このイカは2016年の卒業生に送ったスケッチのうちの一枚。なので原画は手元にない。#マル秘展 pic.twitter.com/sAVcSmEnMp
— 山中俊治 Shunji Yamanaka (@Yam_eye) December 14, 2019
卒業生に送っているスケッチのようです。カラフルなイカですね。
私の場合、スケッチのガイド線は、ものの構造を考えていく上でのガイド線でもあります。つまり、中心線や断面線は作画のプロセスの痕跡でもあるのですが、構造と造形の設計プロセスの痕跡でもあります。#マル秘展 https://t.co/N3RB6G3fQf
— 山中俊治 Shunji Yamanaka (@Yam_eye) December 11, 2019
山中俊治さんにとってのスケッチは、構造と造形の設計プロセスの痕跡でもあるようです。
その他、山中俊治さんのスケッチについてこちらの本にまとめられております。
山中俊治(デザインエンジニア)の妻について!
山中俊治さんの奥さんについて調べてみました!
奥さんは一般人のようですので、画像などは見つかりませんでしたが、山中俊治さんのインタビューで度々出てきますので、山中俊治さんに大きく影響を与えているようです。
僕は、妻に言われたんですよ。「昔を振り返るのはやめよう」って。「ノスタルジーという感情は自分の中で膨らむから、嫉妬とノスタルジーを育てるのはやめようね」と。
また、インタビューから奥さんは山中俊治さんの共同事業者でもあったことが分かりました。
ただ、その後35歳くらいでフリーランスに戻ったときにはまったく仕事がなかった(笑)。共同事業者の妻と毎日漫画を描いて暮らしていましたね(笑)。半年くらい経って貯金も苦しくなってきて、そこから少しずつ、東大で見てきた新しいテクノロジーとデザインの関わりのようなことをベースに活動してみようと考え始めました。
山中俊治さんの考え方ですが、あえて”私と妻”と書いているところに、奥さんと同じ考え方をして、一緒にやってきたという思いが伝わりますね。
私と妻もずっとそうして来ました。
https://t.co/TbGi0DYUqk— 山中俊治 Shunji Yamanaka (@Yam_eye) September 25, 2017
それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!