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間中敏雄(日光猿軍団校長)のプロフィールや経歴は?現在の活動は?

間中敏雄 日光猿軍団校長

日光の観光名所として一世を風靡した日光猿軍団!猿が授業を受ける可愛らしい姿で話題となりました。

そんな日光猿軍団を作った間中敏雄(まなか としお)さんについて詳しく調べてみました!

間中敏雄(日光猿軍団校長)のプロフィールや経歴は?

  • 名前:間中 敏雄(まなか としお)
  • 年齢:71歳 ※1948年6月9日生まれ
  • 出身:埼玉県出身
  • 経歴
    7人兄弟の長男として生まれる。家族9人が六畳一間で暮らす貧しい家庭で育ち、家計を助けるため小学1年で新聞配達をはじめる。中学校卒業まで続け、卒業後は定時制高校に通いながら郵便局に勤務。
    25歳の時に現夫人の清子さんと出会う。すぐに結婚を決意するも清子さんがまだ18歳だったため猛反対され、駆け落ちするも連れ戻されて引き離される。半年以上音信不通になったが町で偶然再会して結婚し、一男一女をもうけた。
    結婚後もチリ紙交換、温泉の呼び込み、タクシー運転手など転職を繰り返し、テーマパーク『日光江戸村』のオープンと同時に甘栗の販売を始める。その後伝統的な動物芸『ヤマガラのおみくじ引き』も始めたが、その頃にテレビで見た村崎太郎・次郎の猿回しに影響を受け、3匹の猿を買って猿回しを始める。
    暴れる猿と格闘しながら我流で芸を仕込み、日光江戸村で披露し始めると、本来一匹の芸である猿回しを集団芸にし、学校を舞台にした出し物で大きな人気を集めて92年に常設劇場『日光猿軍団』をオープン。初日から長蛇の列ができるほどの人気は拡大し、一大ブームを巻き起こした。
    劇場のほかオートキャンプ場やオフロードコースなども運営し、韓国の扶安猿学校設立にも協力。かつてはヘリコプターを購入するなど贅沢な暮らしをしていたが、猿軍団の先生を務めていた長男を95年に交通事故で亡くし人生観が変わったという。
    11年3月の東日本大震災による福島第一原発事故で外国人調教師たちが帰国し、客も激減。猿が高齢化するも若い猿に調教する人手が足りず13年8月、同年限りでの閉園を発表、12月31日で閉園した。
    15年、村崎太郎が施設を買い取り、新たに『日光さる軍団』として劇場を開設させている。

現夫人の清子さんとの結婚の馴れ初めは、劇的ですね!一度は駆け落ち。連れ戻せれ、その後、偶然の再開からの結婚という、映画さながらの展開です!

間中敏雄さんの半生については、こちらの書籍にまとめられております。

間中敏雄(日光猿軍団校長)の現在の活動は?

間中敏雄さんの現在の活動について、調べてみました!

経歴でも書きましたが、人手不足で閉演した日光猿軍団ですが、2015年に村崎太郎さんが施設を買い取り、新たに『日光さる軍団』としてオープンしております。

杉崎太郎さんとはもともとはライバル同士だったようですが、「合体したら敵はないとも思ってね」と、杉崎太郎さんが復活を持ちかけるかたちで再開したようです。

また、現在は”日光・まなかの森”というキャンプ&スパリゾートがあり、こちらの経営も行っているようですね!

http://nikko-manakanomori.com/

それでは、最後までお読みいただきありがとうございました!